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[京都店]梅林秀行さんと、街を歩いて(報告2020.2.2)

催し等のご案内

『京都高低差崖会』を主宰し、NHK番組『ブラタモリ』では、パーソナリティのタモリさんとどこまでも軽快に京都の街を深く面白く語り歩く、梅林秀行さん。自らの足で土地を歩き、目に映る風景と歴史の関係性を紐解きながら、京都という土地をリアリティのある言葉で "タグ付け" し直そうと多方面で活動を続けています。

ザ ナチュラルシューストア京都店は、2020年2月2日、地元京都のフリーマガジン『リトルノ』のご協力のもと梅林秀行さんをお招きし昨年秋(2019年11月※前回の様子はこちら。)に続く第2回目となる街歩きイベントを行いました。

信長の眼差しを受け継ぎ、秀吉が築いた京の街。
時の流れの中で刻まれる、思索と情緒の織り成す痕跡を辿る。

立春を間近に控えた2月の日曜日、参加者の皆さんと、麩屋町通りに面するナチュラルシューストア京都店を出発。今回は、麩屋町通りから寺町通り周辺の寺や小径を巡り、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも注目を集める本能寺を訪ねる約2時間のコース。かつての鴨川の岸辺や平安京の街の姿を想像しながら、後の戦国時代に入洛した織田信長の見た風景、そして豊臣秀吉の築いた京の街を歩きました。

目に映る景色を指差しながら、立ち止まり照らし合わせるのは、先人たちの描いた書物や絵図と、梅林さんがこの日のために制作下さったオリジナル地図。京都の街の地形図に、平安京と戦国時代に築かれた町並を重ね、更には、かつて市街地を堀や土塁で囲んだ「惣構(そうがまえ)」や「御土居(おどい)」を配置した、時空を跨いで京都の凹凸を望めるマップです。

梅林さんの歩みと指先に導かれ、時代を遡りながら痕跡に見えるリアルを追いかけ、そこに生きた人々の思索や情緒へ意識を向ける街歩き。

歩いて気付く土地の凹凸を手掛かりに、歴史をひらき想像する。機微に振れる視線を体感しながら街を歩くと、450年前、天下統一を目指した偉人たちの息づかいさえもぐっと近くに感じられてくるのは不思議です。

言葉では説明し得ない人々の意識が生み出す世界は、どんなに痕跡を辿っても解明し尽せるものではないかも知れません。それでもなお、残された足跡を辿り、無尽の世界に思考と感覚を巡らせることへのワクワクが尽きないのは、積み重ねられた過去からの、今を創る私たちへのギフトのようにも思えます。

豊臣秀吉の街改造により、鴨川沿いに各地の寺が集められた「寺町」。
かつて寺町通りに並んでいた寺々の表門の多くは現存しないものの
表門と本堂を確かに繋いだ参道の名残が随所に残る。

「本堂に通ずるこの小径の先に、今は無き表門を
人々はこの場所から眺めていたわけです。」


後に寺の境内が解体されると、人の流れに沿って盛り場(商店街)が生まれ
寺の御堂を取り巻くように小道が引かれた。

盛り場に囲まれた小道の先に、ひっそりと残された墓地。

「街の真ん中にぽっかりと空くエアポケットのようでしょう?
"死" に一番近いところでエネルギーが渦巻く様子は
とても日本的で、日本各地の繁華街で見られることなんです。」

「境内が町と化し、寺と町の狭間に娯楽芸能の文化が栄える。
法の目を掻い潜るように遊郭が生まれる姿は
浅草(東京)によく似ていますよね。」

平安京が築いた条坊(正方形の格子状)の町は、
後に、繰り返される戦乱や疫病で荒廃。
応仁の乱により京の町は上京、下京とに分かれ、
市街地は防衛のため「惣構(そうがまえ)」と呼ばれる堀と土居に囲まれた。

入洛した織田信長がみた京都は、
鴨川の水辺や田んぼと化した土地を背景に、
惣構に囲まれた町。

平安後期の気候の寒冷化により川幅を広げていた鴨川の水辺を、
足を濡らし馬で渡ったのが信長だった。

京の都を天皇、将軍の高位なる場として、崇め奉った信長。
惣構の内側に自らの城を建てることも
家臣を含め居まいを設けることもせず、
本能寺の変で自害するまで、生涯、その外側に身を置いた。
その律儀さは時に自身の心身を絆(ほだ)し、
上京の町を焼き払うなど、二面性をはらんだものだった。

全信頼を寄せていた家臣、明智光秀の手腕を借りて、
天下統一と京の都の庇護を求めた果てに訪れた、本能寺の変の朝だった。

1582年6月2日、よく晴れた夏至の朝。
数日ばかりの滞在ゆえに
平穏を疑わず開け放たれていた、本能寺の門。
明智光秀率いる13,000の軍に包囲された信長は
充分な攻防を出来ぬままに自害を決める。

自ら火を放ち覆った畳の灰の中で
図らずとも最期まで
熱心に崇めた京の都の外側に身を挺した。

 

現存する本能寺は、後に秀吉の街改造の一環で移転されたもの。
信長が自害した本能寺は、下京の西の惣構の "外側" にあたる低地にあった。

「各時代の絵図を比べてみると、信長が身を置いていたであろう場も見えてきます。」

「こうして歴史を探るとき、絵図や交換された書状のほか
残された近しい個人の "日記" の中に、リアルな手掛かりがあるんです。」





信長の見た京都とその生涯を受けて、
街の再構築と更なる天下統一への展望を抱いた豊臣秀吉。

上京、下京を統一し、
惣構に囲まれた一部市街地は維持しながらも、
その外側においては彼のフリーハンドによって
大規模な改造、再構築を行った。

更には、外敵の来襲と、鴨川の氾濫から街を守る防塁として
堀と盛り土からなる「御土居」を築き
鴨川の川幅は縮小、街は拡大し再興に向かう。

***

その時代に生きる人々により、重ねられていく街づくり。
施策と施策の「隙間」に生まれる
使い道のない三角地帯(通称 "ヘタ地" )は
隙間ならではの存在をもって、今なお残る。

時にはピアッツァ(広場)や公園として、
時には危い混沌の渦巻く溜まり場として。

「世界各地の街なかで、"割り切れない" 場が生まれています。
本来役割のないその場所に、
人は集まり、様々なドラマが起こるんです。」


時代を跨ぎ、荒廃と再興を重ねて形を成した現存する街の姿。

それは、自然による地形の変化や繰り返される戦乱といった歴史と共に、京都という特別な土地を巡る人々の思索や構想、計り知れない情緒が織り交ぜられたものでした。

「美しい古都市、京都」
容易く繰り返されるその言葉の向こうには、どんなリアルがあったのか。

意識と想像を巡らせながら街歩きをしてみると、私たちの日々の感覚の幅は今よりずっと広がって世界の見え方、捉え方もだいぶ変わってきそうです。

 

ビルの壁に施された、建物の痕跡を思わせる"トマソン"※。
※建築に付随する美しき無用の長物を指す通称。

「あちらこちらにある "何かがあった" 切り口を探って
今日も街を歩いてみましょう。」

 

(2020年2月)

 

_________

以下、『京都高低差崖会』HPより(梅林秀行さんの投稿  2019.7.13)

「京都は昔から~」「ずっと変わらぬ~」「平安京以来の~」といったファンタジーあふれる観光言説、もっといえば本質主義的な言葉に対して、いかにリアリティを再び積み上げていくか。

「歴史都市」京都を語る言葉は、じつは案外「非歴史的」あるいは「超歴史的」な中身となってしまいました。地域の生活史を語る言葉が、今の京都だからこそ求められている気がしませんか。


《梅林秀行》
kyotokoteisa.hatenablog.jp/
引きこもりの方々の支援を行うNPO法人『京都暮らし応援ネットワーク』の活動を行う傍ら、『京都高低差崖会』を主宰。NHKテレビ番組「ブラタモリ」「歴史秘話ヒストリア」等へのメディア出演の他、講演活動や各種街歩きイベントのガイド役を担う。

《55才からの大人のフリーマガジン『ritorno(リトルノ)』》
www.ritorno.jp
“ritorno” とは
イタリア語で “戻る” の意味。
「じぶん温故知新」をテーマに、もう一度夢見る大人にとの思いから、人生の忘れ物や答えを地元京都に寄り添う情報を通して、読者と共に見つけてゆく大人のためのフリーマガジン。年4回発行。

 

 


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